(八町堀 霊岸嶋)
日本橋南之絵図
1-06

日に千両が動く
威勢のいい日本橋界隈

収図範囲は、八重洲・日本橋・京橋・八丁堀・霊岸島一帯。江戸開府とともに架けられた五街道の起点・日本橋。その北詰の魚河岸は「日に千両」が動くといわれた「江戸三千両」の一つ。日本橋川の下流にあるのが鎧ノ渡。鎧の名のいわれは、八幡太郎義家とも平将門とも。南茅場町の近くに山王御旅所がある。天下祭では本社から神輿がここに行幸する。山王御旅所から本八町堀にかけての御組屋敷に住んでいたのが「八丁(町)堀の旦那」たち、町奉行所の与力・同心だ。大鋸町の一画に御用絵師・狩野永徳と歌川広重が隣り同士で記されているのが興味深い。