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東都麻布之絵図
1-21

麻布台地では
麻の栽培が行われていた

収図範囲は、麻布・古川から北の地域。古川に架かる一から四の橋があるが、文武に秀でた攘夷派の志士・清河八郎は一ノ橋で暗殺された。また中ノ橋においては、アメリカ公使ハリスの通訳ヒュースケンが、外国人旅宿(赤羽接遇所)から善福寺の公使館への帰途、薩摩の攘夷派に殺害されている。彼の墓は善福寺から仙タイサカ(仙台坂)、御ヤクエンサカ(薬園坂)を下った光林寺にある。また、専称寺には沖田総司が眠る。その近くの毛利右京亮の屋敷では間新六ら10人の赤穂浪士が切腹した。現在は六本木ヒルズに。有栖川公園は南部美濃守屋敷跡に造られた。

現代地図

図番号:1-21
原本サイズ : 513×580mm
原本刊行年:文久元年(1861)

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